京都に近く、古くから交通の要所として栄えた近江は、古来から歴史のターニングポイントとなる大きな出来事が数多くあった場所です。
特に戦国時代の北近江(長浜周辺)は、覇を争った武将たちの足跡がたくさん残ります。
浅井三姉妹が生まれた小谷城址や姉川・賤ヶ岳古戦場、石田三成出生地など、数多くの史跡「戦国の聖地」を巡り、そして湖国長浜のまちの誕生へとたどり着く探検旅を紹介します。
長浜のはじまりにつながる物語を旅する日本の戦国歴史聖地巡礼旅。戦国武将たちが関わった歴史のターニングポイントの現場へ!
長浜のはじまりにつながる物語を旅する日本の戦国歴史聖地巡礼旅。戦国武将たちが関わった歴史のターニングポイントの現場へ!
京都に近く、古くから交通の要所として栄えた近江は、古来から歴史のターニングポイントとなる大きな出来事が数多くあった場所です。
特に戦国時代の北近江(長浜周辺)は、覇を争った武将たちの足跡がたくさん残ります。
浅井三姉妹が生まれた小谷城址や姉川・賤ヶ岳古戦場、石田三成出生地など、数多くの史跡「戦国の聖地」を巡り、そして湖国長浜のまちの誕生へとたどり着く探検旅を紹介します。
小谷城
小谷城は戦国武将浅井氏三代の居城であった国指定史跡の山城です。
浅井長政とお市の方の子供である茶々・初・江(浅井三姉妹)のふるさとでもあります。
北陸道と中山道の要所をおさえ、また琵琶湖にも近くまさに重要な城でした。
今もなお、地形を巧みに利用した遺構が残り、石垣も残ります。
眼下には琵琶湖までも見渡すことのできる大パノラマが広がる日本五大山城の一つです。
春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉と、ハイキングに最適です。
所在地 | 滋賀県長浜市小谷郡上町139 |
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アクセス |
[公共交通] JR河毛駅より徒歩25分・タクシーで5分 [自動車] 小谷城スマートICから3分 [駐車場] 有 (普通車30台) |
リンク | |
パンフレット |
浅井氏が隆盛を誇って拡張・整備していった堅牢な山城であり、織田氏との戦いによって、落城・滅亡となった最後の場所でもあります。
現在も随所に残る山城遺構を探しながら、浅井長政やお市、三姉妹の思いを妄想しながら散策していただきたいです。
姉川古戦場
元亀元年(1570)6月、浅井軍VS織田軍による合戦が行われた姉川の野村橋たもとに供養塔が立っています。
小谷城主、浅井長政は織田信長の妹、お市の方を娶って織田家と同盟を 結んでいましたが、信長が浅井家と親交の深い朝倉家を攻めたことから関係が悪化。
浅井征伐のため信長が出陣すると、長政は小谷城を出て、姉川で織田軍を迎え撃ちました。
所在地 | 長浜市野村町 |
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アクセス |
[公共交通] JR北陸本線 「長浜」 下車 バス 15分 湖国バス野村橋下車 [自動車] 北陸自動車道長浜ICから車で10分 [駐車場] 有 |
リンク | |
パンフレット |
従来イメージは織田・徳川軍の圧勝で、浅井・朝倉軍は撤退し、やがて浅井氏の滅亡へと繋がる決戦の場だと考えられていました。
しかし最新の研究ではそれほど圧倒的な勝ち負けはないと考えられています。
現在も伝わる戦に関連した地名やスポットをめぐりながら姉川合戦に思いを馳せていただきたいです。
賤ケ岳古戦場
「賤ヶ岳の戦い」は本能寺の変後、信長の後継者をめぐって対立した羽柴秀吉と柴田勝家の戦いで、賤ヶ岳一帯が戦場となりました。
標高420mの山頂にある古戦場へはリフトで気軽に登ることができます。
山頂付近には戦跡碑、戦没者の碑があり、竹生島が浮かぶ雄大な奥琵琶湖、滋賀県一の高峰・伊吹山、穏やかな湖面の反射が“鏡湖”と称される余呉湖など、湖北を一望できる圧巻の大パノラマが広がります。
所在地 | 木之本町大音 |
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アクセス |
[公共交通] JR木之本駅からバスにて約5分 [駐車場] 有 |
リンク | |
パンフレット |
織田信長亡き後の織田家の後継者争いとして羽柴秀吉と柴田勝家が雌雄を決した合戦が、賤ケ岳で行われました。
後に名だたる武将となる賤ケ岳七本槍が活躍した合戦場であり、周辺には両軍が築いた陣城跡が数多く残るお城ファンには堪らないスポットでもあります。
石田会館 (石田屋敷跡・石田三成出生地)
いよいよ秀吉の時代、のちに秀吉の側近となる石田三成が登場します。
三成が生まれた屋敷跡に石田会館があります。
「石田三成資料室」には、石田三成像や三成の生涯を描いた絵巻パネルを展示しています。
他、鎧やゆかりの古文書に石田屋敷復元ジオラマなど数々の展示物があります。
会館外には、「石田治部少輔出生地」と刻まれた石碑や三成の銅像もあります。
所在地 | 滋賀県長浜市石田町治部576 |
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アクセス |
[公共交通] JR長浜駅下車→湖国バス近江長岡駅行きで20分、バス停:石田下車、徒歩3分 [自動車] 長浜ICから10分 [駐車場] 有 |
リンク | |
パンフレット |
石田三成が育った屋敷があった場所です。三成公一代絵巻をはじめ、石田三成ファンには堪らない情報を見学することができる聖地です。
石田会館前に建立された三成像は、京都・大徳寺三玄院に葬られている遺骸と、青森・杉山家に伝わる三成の肖像画を元に作られました。
その顔をじっくり見てきてください。
国友鉄砲ミュージアム
信長・秀吉と国友鉄砲鍛冶の出会いは、小谷城を攻めて浅井長政を滅ぼした天正元年(1573)と考えられています。
国友は、鉄砲の伝来ののち早々に鉄砲製作を始め、最盛期には70余軒の鍛冶屋と500人を超す職人で賑わった一大鉄砲産地でした。
館内では、国友の歴史・文化や、日本のエジソンと呼ばれた天才発明家・国友一貫斎の業績等をマルチスライド、ジオラマ、そして実物展示などでわかりやすく紹介しています。
所在地 | 滋賀県長浜市国友町534 |
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アクセス |
[公共交通] JR琵琶湖線「長浜駅」 湖国バス養護学校線で「資料館前」下車 [自動車] 北陸自動車道長浜ICより5分 [駐車場] 有 |
リンク | |
パンフレット |
天文12(1543)年にポルトガルから種子島に鉄砲が伝来して以来、鉄砲は戦に勝つためになくてはならないものとなっていきました。
堺や根来など鉄砲生産で知られる場所はありますが、長浜市内の国友村にも鉄砲鍛冶が暮らしていました。
秀吉に庇護された後は各地の合戦では、国友村で作られた鉄砲が活躍したのです。
長浜城
旅の最後は、長浜城。
秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所でもあります。
ここから現在に至る湖国長浜のまちは築かれていくのです。
琵琶湖のほとりにある豊公園内に建つ長浜城。
羽柴秀吉が織田信長から今浜の地を与えられた際、信長の一字をとって「長浜」に改称し、築いたお城です。
後に天下統一を果たした秀吉が初めて城持ち大名になったことから、出世城とも言われています。
小谷城攻めで戦果をあげ湖北三領を得て、初めて築いたのが、長浜城でした。
内堀、2重の外堀に守られ、琵琶湖の水運と連携する縄張りの長浜城は信長の琵琶湖ネットワークを担う重要な拠点の一つでもありました。
秀吉が築いたお城跡を探すのは難しいですが、同時期に築いた城下町にはあちこちで秀吉の痕跡に触れることができます。
こうして激動の戦国時代を乗り越えた秀吉が
長浜城に入ったところから現在の湖国長浜につながる、
長浜のまちづくりがはじまっていきます。